説教を受ける。

 私がいろんなことに手を出し、やっている事について説教を受ける。

①自分の好きなことをして、良い気になっている。私は家のこと、息子娘のこと孫のことを考えて忙しいのに、気ままに出歩いていることについてどう思っているのか。

②人は何を考えているかわからない。私は表面の顔しかみていない、言っている言葉でしか理解していない。人は裏でどんなことを考え、どんなことを言っているか考えたことあるのか。

③私は家のことや家族のことをきりもりしている、その事を分かっているのか。気持ちや思いを理解しているか。

 

①について

 私自身は、息子娘や孫のことについては、頼まれれば孫の世話したりはするが、夫婦間の事については、心配はするが深入りすればかえっていろいろ問題になると思っているので、家内に任せて来た所はあるし、それに頼られている家内は嬉々としてやっていると思っていた。

 成人した30代の独立した人格で有るので、わたしに相談があれば応じるし、無ければそれは良しとしている。

 ずーっと66才まで仕事してきて、毎日日曜日になり、やりたくても出来なかったことを、手がけ、それらの人間関係で広がりが出来、付き合いが増える。カレンダー管理で区の用事、家族の用事等必要なことはやりきり、その合間を使って趣味活動や慰問活動、予定活動をしているつもりでいる。

②私は基本的には、私の周りにいる人は善人として接している。それで裏切られてもそれで良しとしている。自分が裏切ることをしなければそれで良い。

 相手に疑心暗鬼を持って接しては失礼であり、相手の悪口を言うこともしない、良い所は褒める。お互いが褒め合い成長出来る人と付き合う。

 批判や中傷や世間体を気にしていては新しいことなど何も出来ないということは分かっている。

③昔から、教師という大変な仕事をし、その中で家庭のことをきりもりし、育児や親の介護にも頑張る家内であったし、退職後も地域の民生委員、児童委員をし、パソコンも使いこなし何でもばりばりするし、食事や洗濯もきちっとやりこなし、本当に凄い人で、圧倒されてきた。

今の私があるのは、家内のお陰であるし、自由に動き回れるのもそのお陰と感謝してきている。

 気持ちや思いに気づいていてもなかなか形にしてこなかったということも大きな反省である。

 

 いろんなことを言っても、かえってこじれる事は分かっていて、黙って聞くしか術がないのである。